第3話 褒章と沈黙
──褒章は出す。だが、それが表沙汰になることはない。
その声は若いのに、逃げ道を残さなかった。王城の一室というよりは、質素な応接間。アリシアを救出した翌日、密かにそこに呼ばれたセイルは、正面からそう告げられた。
「……あの場に君がいたことは、記録されることはない。今回の件は、“旧禁術封印区域における災害対応”という形で処理をする。すまない」
淡々と語られたその言葉に、セイルはただ首を横に振った。
「……殿下、謝らないでください。僕が……頼まれて、動いたんです」
「だとしても、君は妹を見つけ、無傷での保護を可能にした。礼を言う」
エドワルドの目は、どこまでもまっすぐだった。高位者にありがちな“慰め”ではない。本気で、セイル個人を認めようとしている。だからこそ、セイルもまた、まっすぐに言葉を返した。
「一つだけ、お願いがあります」
「……なんだ?」
わずかに身を乗り出す気配。喉が鳴った。
「褒章も地位もいりません。僕はただ――」
この先を口にすれば、戻れない気がした。それでも、セイルは口を開いた。
「アリシア様の、そばにいさせてください」
その言葉に、エドワルドの眉がかすかに動いた。
「君は、まだ学園の一年生だ。それを望むと……周囲が黙っていないぞ」
「それでも、望みます。……他には、何も要りません」
しばらくの沈黙。やがて、エドワルドは小さく笑った。
「金銭でも、地位でもなく、か。変わった男だな、君は」
嘲りではなかった。むしろ、困ったような、それでいて少しだけ羨ましげな笑みだった。
「分かった。ならば条件をつけよう」
王太子の声に、セイルは目を見開いた。
「三年後──王立学園を首席で卒業すること。それができたら、文官補佐として私の元に迎える。アリシアの傍付きとなれる保証はないがな」
「……!」
「これは私個人の約束だ」
エドワルドは静かに言った。
「だが、私が王太子でいる限りは守る。……いいな?」
何も言えなかった。ただ、強く頷いた。握りしめられた手のひらが、汗で滑るようだった。
◇◇◇
朝の陽が、白い石畳をまばゆく照らしていた。王城中庭──その中心に据えられた式台では、これから執り行われる「禁術災害対処功績者褒賞式典」を前に、すでに多くの人々が整列を始めていた。
正装の騎士たち。文官たちの筆と記録板が、いくつも光を受けている。並ぶ衛士の槍先は一糸乱れず、空を向いていた。
式台の中央にある背中は──ゼノ・グラナート。王命により旧封印区域に派遣され、制圧を完了させた者として、今日の栄誉を受け取る人物。
玉座の間から、王の名代として、エドワルドが姿を現した。式典の壇上では、ゼノ・グラナートが深く頭を下げている。その姿を見たエドワルドの表情が、わずかにこわばった。
だが、式典は進行していく。剣の献上。叙勲の辞。盛大な拍手が、空に響く。そして、この直後に設けられた王との謁見で──ゼノは、誰も予想しなかった言葉を口にした。
「……王女殿下のそばに、置いていただきたい」
ゼノのその言葉に、その場にいた他の3人の動きは止まったようだった。感謝の手を差し伸べかけた王は凍り付き、王太子は息を呑む。ゼノの父であるグラナート公エルネストは、信じられないものを見たという表情を隠せなかった。
「ゼ、ゼノ……!」
王の前であるにも関わらず、父の叱責が息子へととぶ。王は何も言わない。表情を改め、親子の姿を静かに見つめている。そして、王太子は昨日のセイルとの約束が頭をよぎっていた。そんな、彼の口からは穏やかな声が紡がれる。
「父上、褒章とはそのようなものでしょう」
「なぜだ?」
「いまさら、グラナートが地位や名誉を欲するはずもない。ならば、当事者の望みが最優先でしょう」
エドワルドの声は正論としか言いようがない。とはいえ、ゼノが地位や名誉を望むと言ってしまえば、話は簡単だった。家督を継ぐ前に爵位を得る道も、確かにある。だが、彼はそれを選ばなかった。それらはすべて、あとからでも手に入るものだったからだ。
名は功績に付いてくる。地位は、必要とされれば自然に与えられる。けれど──彼が望む時間だけは、今この瞬間のもの。だからこそ、ゼノ・グラナートは、あえて最も厄介で、最も誤解されやすい願いを口にした。
「グラナート公、少し時間をもらえるか。ゼノ・グラナート、望みはたしかにきいた。この件については、後日、正式に返事をする」
王の声に親子は静かに頭を下げることしかできないようだった。王女は戻った。だが、その帰還の裏で交わされた言葉を知る者は、まだ少なかった。
◇◇◇
式典が終わっても、王宮の空気は落ち着かなかった。理由は明白だ。──情報が、足りない。
「……なんか、変じゃないか?」
ぽつりと、誰かが口にした。
「報告書、見たか?」
「見た。というか、あれ“だけ”だろ?」
「“旧封印区域にて、魔力災害の兆候を確認。グラナート公爵家の部隊が、現地制圧を実施”──って。以上?」
「しかも、現地にいた構成員の名簿がやけにあっさりしてる。ゼノ様以外、ほぼ“未公表”になってた」
広間の片隅、休憩中の文官たちがひそひそと情報を交わし合う。その中で少しずつ見えてくる、事実の“空白”。
「旧封印区域にて、魔力災害の兆候を確認ってなってるけどさ、実際は違うよな?」
「おいおい、好奇心で突っつくんじゃないぞ」
「でもさ、最初は……」
若手の文官の言葉を別の誰かが遮る。それ以上は踏み込むな、という無言の牽制に若手はぐっと息をのむ。そんな空気を壊すように、別の声が上がる。
「それよりさ、こんな事案が起きたら、初動の時系列、現場構成員、魔術通信の履歴──逐一検証するだろ」
「それを誰も精査していない」
「いや、“できてない”ってのが正解かも」
「……第六は?」
その一言に、周囲の視線が集まる。
その第六の動きは鈍かった。そこに何かがあると感じるのは文官の本能。だが、別のことも感じている。──何かが、覆い隠されている。けれど、それを言葉にしてはならないのだと。
(……本当に、ゼノ様だけだったのか?)
(だとしたら、あの動きは──)
誰も口には出さない。出せば、引き返せない何かに触れてしまう。
「……けど、本当にこれでいいんですか?」
ぽつりと、若手の文官が漏らした言葉に、誰も返事をしなかった。ただ、その一言が残した波紋だけが、その場の空気を微かに震わせていた。
ただひとつ、確かなのは──この報告書の“沈黙”こそが、もっとも雄弁だということだった。“災害”という言葉では、何も語れないほどの“真実”がある。
◇◇◇
──そして、その全てを、王は知っていた。
王太子からの報告は、届いていた。娘の所在が判明し、グラナート公爵家が救出にあたったこと。その際、エドワルドが個人的に“ある少年”を動かしていたこと──報告書には名がない。命令書もない。だが、王は、理解していた。
王は前には出ない。出てはならない。王太子が責任をもって指揮を執り、無事に解決に導いた。ならば、それは“王命”として公式に認可されねばならない。
──だが、沈黙の背後で、王はただひとつ、私的に言葉を残していた。
「……せめて、せめて名だけでも、記してやれればよかったのだがな」
苦笑まじりの、ぼやきのような一言だったという。その声に、静かにうなずいた侍従の姿があったという話だけが、後に残された。一方で、別の場ではこんな言葉も残されている。
「グラナート公。自慢の息子、少しの間、預かる」
この言葉に、父は安堵と諦めの色を浮かべ、息子は喜色満面だったという。そして、褒章の控えにも、記録にも、ある少年の名前は記されていない。
だが、確かにそこには、“ひとつの想い”が存在していたのだ。

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