第4話 書いたこと、書かれなかったこと

王女の帰還が報せられてから、三日。けれど王宮の混乱は、まるで収束する気配がなかった。

「……で? どこの誰が、“転移痕跡なし”なんて書いたんです?」
「えっと、それ、術師団の報告をそのまま──」
「そのまま写すなよ! 誤字よりタチ悪いんだよ、“間違ってはいないけど正しくもない”報告って!」

朝から繰り広げられているのは、文官たちの修羅場。

王女が消えた部屋。侍女が手にした鏡。封鎖された王女宮。そして、何ひとつ明確な“転移痕”が残されていなかったこと。

記録する文官にしてみれば、これほど厄介なこともない。事件の核心に最も近いはずの第六課が、混沌の真っただ中にあった。

「こんなことなら、第七課に引き取ってもらえばよかった……」
「いや、それはそれで、全員術式解読班に引きずられてたと思いますよ?」

そんな嘆きすら聞こえる中──空気が変わった。扉が開く音が響く。誰もが手を止め、振り返る。そこに立っていたのは、一人の異端。

「……何やってんだ、お前ら」

ざわり、と空気が揺れた。第六課の中堅記録官でありエース、エグバート=グランヴィル。

「報告、整理されてんのか?」
「い、いちおう……主要証言と部屋の構造、配置図はまとめてありますが──」

差し出された羊皮紙を受け取り、彼はざっと目を通す。

「……聞き取り、甘いな。使った語句も曖昧すぎる。『見たような気がします』ってのは、見たのか、見てないのか、どっちだ?」
「そ、それは……」
「今から、再聴する。あの侍女、まだ拘留中だな?」
「はい。ですが……あの子、かなり消耗していて──」
「じゃあ記録だけ取る。喋れなくても書くことはできるだろう」

淡々と、けれど迷いなく告げられた言葉と一緒に、彼の足音が控室の奥へと続いていく。その背に、ひとりの若手がぽつりとつぶやいた。

「……あの人が動くってことは、また何か“見つける”気なんでしょうね」

誰からともなく、空咳がもれる。場に漂っていた重苦しい空気が、ほんの少しだけ動いた気がした。誰も口には出さないが、全員が感じている。“ここから何かが動き出す”と。

「……あの、あの人の“再聴”って、本当に本気で?」
「本気でしょうね。あの人、そういう人ですし」

そう答えたのは、隣席の若手書記官──フロイ。

まだ第六課に配属されて間もないが、書類処理の正確さと分析の切れ味で、静かに注目を集めつつある存在。

「でも、あの子……侍女のエルマさん、もう本当に憔悴してて……。目もうつろで、何を聞いても答えられないような……」
「だから“再聴”なんでしょう。言葉じゃなく、“記録”を取るって言ってましたし」

フロイの声色はあくまで淡々としていた。けれど、その指先には、ごくかすかに緊張の気配がある。その時、庶務課から応援に入っていた事務官がぽつりと問いかけた。

「……さっきのあの人って、どんな人なんです?」
「エグバートさんですか? ……正直、“何でこの人が文官なんだろう”って、最初は思いました」
「えっ……?」
「あの人、軍人の家系ですよ。現場には子供のころからいたって。報告書書くより、現場に出る方が向いてる人です」

小声で言ってから、フロイは手元の資料をそっとひっくり返した。エルマの初期供述が記された紙に、赤い印が複数入っている。

「転移痕なし、魔術師団の調査完了──。でも、“何もなかった”って報告ほど、エグバートさんは疑うんですよ」
「そんな……」
「なんといっても、あの人は全部“見てる”んですよ。現場の構造とか、人の癖とか。こっちが気づかないところまで」

不意に、別の書記官が割って入った。

「まさか、共犯がいるって?」
「さすがに断定はしてないでしょう。ただ、“知らずに加担してた可能性”くらいは、誰でもあるって話です」

フロイはそう言ってから、ゆっくりと視線を上げた。

「──でも、あの人は、そういう些細な見落としからでも“誰が、何を隠していたか”を嗅ぎつけるから、怖いんです」

その言葉に、周囲の空気がほんの少しだけ引き締まった。誰が仕掛け、誰が関与し、誰が何を知らずに受け取ったのか──。

王宮では、その違いが後になって重く問われることもある。次の瞬間。控室の扉が、音もなく開いた。

「──おい、新人。……これ、照合チェック。今までの調書との違いがないか確認しとけ」

言いながら放られた二枚の資料。そこにはたどたどしい筆跡で事件の経過が綴られていた。

「……これ、侍女の証言ですか?」
「そうだ。“持たされた”って話は本当かもしれねぇ。ただ、それだけじゃないだろうな」
「暗示、でしょうか……?」
「じゃないな。暗示であそこまで動かせるはずがない。もっと、深いところだ」
「……って、いうことは……」
「お前が感じてる通りだよ。まったく、なにも知らないガキに何をさせるんだか」

エグバートは、窓の外へちらと目をやった。夕暮れに染まりかけた王都が、塔の先に伸びている。

「エルマの再聴、お前がまとめとけ。今日中に下書き、明朝には提出な」

そう言いつつ、エグバートは上着を無造作に肩にかける。その様子に、フロイのいぶかしむ声が重なっていた。

「……了解、です。先輩は……?」
「俺は少し、“選定側”の話を聞いてくる。あの子が王女付きになった経緯、まだ誰も明言してねぇだろ?」
「でも、任命権なんて、限られてますよね……?」
「ああ。“限られてる”からこそ、狭い。だから──辿れる」

フロイは、ごく小さく息を呑んだ。その口調は、冗談まじりの普段の声ではなかった。冷たく、静かで、そしてどこかに怒りがにじんでいる。

「……先輩。“まさか”とは思いますが」
「“まさか”が起きるのが宮廷だ。だから俺たちがいる」

そう言って、エグバートは手袋をはめ直す。文官にしてはごつい指。いくつかの古傷が、過去を語っていた。

「任せたぞ、フロイ」
「はい。……あの、無茶は、なさらないでください」
「無茶しなかったら、誰がやるんだよ」

振り返りもせず、ひらりと手を振って──エグバートは部屋を出て行った。
扉が静かに閉まるのと、フロイが大きく息を吐くのは同時。

文官という道を選んだとき、こんな修羅場に立たされるとは思っていなかった。一族が進んできた道を歩いているはずだった。──けれど今、自分の足元に、確かに“選択”がある。

追うのか、避けるのか。そして、気づいてしまう。選ばされてなどいない。もうとっくに、自分は選んでいたのだ。しばらくして、フロイが深く息を吐く。

(……まったく、とんでもない人の下についたもんだ)

フロイは苦笑しながら机へ向き直った。
未完成の報告書。山積みの証言。整理しきれていない違和感。やるべきことは、まだいくらでもある。窓の外では夕陽が王都を赤く染めていた。

エグバートは外へ出た。ならば、自分は内側を固める。それが今の役目だ。

「……さて」

小さく呟いて、記録用紙を引き寄せる。追いつけるとは思わない。けれど、置いていかれるつもりもなかった。

フロイは新しい紙を取り出し、静かにペンを走らせた。

 

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