第1話 居場所が判明した夜
王城北棟にある魔術局の小部屋。そこでは、夜通しの魔術解析が続けられていた。
「……座標、確定しました」
白衣の術師が、小さく息をつく。
炎月五日の騒動以来、休む間もなく張り詰めた緊張が続いていた。だが、王女の安否がかかっている。それだけに、不満を口にするわけにもいかない。
今は炎月六日の夕刻。部屋の床に隠された魔法陣。その術式を読み取るには時間がかかる。始めてから一日がすぎるかどうかという時間で、よくぞ解析できた。術師たちはお互いの健闘を讃えるかのように、互いに頷いていた。
彼らの視線の先にあるのは机上の地図。魔法陣に組み込まれていた座標が指し示した場所は、王都北西。かつて使用されていた山道の奥――現在は、貴族の隠棲地として登録された”山荘”。
にわかに信じることはできない。だが、魔法陣に刻み込まれた座標は、終着点がそこだと告げていた。
◇◇◇
「殿下、最終報告です」
側近が差し出す書状を受け取ったエドワルドは、それに静かに目を通す。ようやく、道筋が見えた。そう感じた彼は、深く息を吐いた。
「……正式に動かす。命令書を」
「どちらに、任を?」
「グラナート家だ」
ためらいはなかった。この件において、武門の威を借りずに済ませられるはずがない。その場合、どこを選ぶのか。”王の剣”とも称されるグラナート家以外を選択する理由があるはずもなかった。
炎月七日の早朝。
命令書は、正式にグラナート公爵──エルネスト・グラナートへと届けられた。
文面を読み終えたエルネストは、静かに命令書を机に戻し、傍らに立つ息子に視線を向けた。
「……殿下は我が家に賭けたな。王女を救えと。名目は、あくまで“安否確認”だが」
ゼノは無言でその言葉を受け止めていた。けれど、指先はわずかに震え、拳を握る力が強くなる。
「ならば、それに応えるまでだ。行け、ゼノ。我が名において、この任を託す」
「……必ず、やり遂げます」
声はわずかに荒く、息が混じった。昂ぶる思いを押し隠そうとしても、若さは隠しきれない。
エルネストはわずかに笑みを浮かべ、手元の茶器に手を伸ばした。
「……任せたぞ」
「心得ております」
ゼノは頭を垂れ、静かに執務室を辞す。その直後、廊下に控えていた副官が駆け寄る。
「若様、出立の御指示は?」
「──明日の夜明けには出る。全員、すぐに準備を整えろ」
思わず強い調子で言い切った声に、副官は一瞬目を見開いた。自分でも早口になったと気づき、ゼノは小さく唇を噛んだ。
その夜半過ぎ──偵察隊からの帰還報告が届く。
「目的地──確認しました!」
明らかに昂ぶっている興奮気味の声が、騎士団の待機室に響く。
「王都から北西、山道を外れた高台にある山荘。
屋敷の外周に複数の結界と警戒陣の痕跡。
内部に複数の生命反応。──うちひとつが、王女殿下の魔力波と一致しました!」
その報告に、ゼノの目が鋭く光る。口元は動かさずに頷いたが、胸の奥で高鳴る鼓動が呼吸を乱しそうになる。その若さを隠すように、ただ拳を強く握りしめた。
◇◇◇
出陣前のその夜。準備のために愛剣の手入れをしていたゼノの思いは深く沈んでいた。
王女がいなくなった。その事実が、胸の奥に沈めていたものを、静かに揺り起こす。
あれは翠月(すいげつ)十日、午後。見習い騎士だった頃のことだ。
陽の光が白い花壇を照らし、風がスズランの鈴を揺らす中、道を迷っていた。どこで道を違えたのか、まるで見当がつかない。
(まずいな……)
王宮には、見習い騎士の出入りも多い。だが、ここは明らかに“それ”とは異なる領域だった。石造りの回廊はやけに白く、足音も吸い込まれるほど静かで。すれ違った誰かが、悲鳴を殺すように口を覆ったのを思い出す。
(まずい。まずい。まずい──)
「……どうしたの?」
その声に、心臓が跳ねた。
振り向くと、白いワンピースを着た少女がいた。花のような金髪、澄んだ青の瞳。年の頃は……五つくらいだろう。それでも、立ち姿は妙に凛としていて、そこにいるだけで場が引き締まる。
──特別な存在。そう、確信できるほどに。
「……いえ。あの……通行許可のある者です。すぐ、戻りますので」
声が裏返るのを必死に抑えながら頭を下げる。けれど彼女は、ふうん、と首を傾げて──
「じゃあ、どうして、そんなに困った顔してるの?」
「……え?」
思わず声が詰まる。そんな彼に向って少女はこくりと首をかしげながら言葉を続ける。
「困っているのなら、助けるのが当たり前でしょう?」
そう言って、彼女は──まっすぐ、手を伸ばしてきた。小さな、けれど、まっすぐな掌。何の打算もない、ただの“善意”。
「……案内してあげる。わたし、ここの道は、けっこう詳しいのよ」
「……あの、でも、それは──」
「いいの。わたしがそうしたいの」
笑って、彼女は一歩、近づいてくる。その笑顔を、見た瞬間──胸の奥が、きゅう、と締めつけられた。
(……初めてだ)
こんなふうに、何の価値もない自分に、迷いなく手を差し伸べてくれたのは。
「行きましょう。あっちのほうなら、きっと戻れる道があるわ」
「……はい」
その手を取った瞬間、世界が、すこしだけ、光に満ちた気がした。だが、その光に手が届かないのではと思ったのも事実。
その日から2年後のあの日が決定的だった。
あの日は14歳になった王太子エドワルドの側近候補として集められた日だった。
なかなか姿を見せない王太子に、集められた者たちの苛立ちも高まっていく。そんなとき、王太子は一人の少女を伴って姿をみせたのだ。
「殿下」
いくつもの声が重なり、緊張した空気が流れる。その中で、ゼノの思わずもらしたつぶやきが、全体の空気を凍らせる。
「……ちっちゃい……?」
エドワルドが少女を伴って現れた時点で、少年たちは動揺を覚えていた。
誰もが、どうして?という思いをもつ。だが、彼の表情は至って平静で、それを咎めるような空気を寄せつけない。
「いい機会だから、紹介しておくよ。……妹のアリシアだ。まだ7歳だけど、よろしく頼む」
そう言って、穏やかにアリシアの肩に手を添える。
アリシアは小さく頭を下げ、緊張の面持ちで「こんにちは」とだけ告げた。
他の少年たちが表情を取り繕う中、ただひとり、ゼノだけが無言のまま、その場に立ち尽くしていた。
──あのときの少女だ。二年前、迷い込んだ先にいた少女。おそらく、そうではないかと思っていたが、本当に王女だったとは。胸の奥が、ざわりと騒ぎ始める。
「アリシア、挨拶を済ませたなら、そろそろ部屋に戻りなさい。今度は約束を守るからね」
「……うん」
短い会話のあと、アリシアは再び頭を下げて、控えていた乳母の元へと歩いていく。扉が静かに閉まるまで、エドワルドの視線は妹の背を見守っていた。そして、何事もなかったように席へと進む。
「では、あらためて始めようか。……各位、今日は時間を割いてくれて感謝する」
その言葉とともに、場の空気が切り替わる。王太子としての顔に戻った彼の姿に、誰もが自然と背筋を伸ばしていた。ただ一人、ゼノを除いて。
(……やはり、届かない相手だったのか?)
淡い憧れのようなものが、ゆっくりと、痛みに変わっていくのを感じながら──
室内にチンと剣が鞘に収まる音が響く。
胸の奥に沈めていたものを浮上させた彼の瞳には、まぎれもない決意だけが浮かんでいた。

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