貴婦人の嗜み
その日もエルヴァンシア王宮では、華やかな夜会が開かれていた。
だが、この夜の話題は宝飾品でも舞踏でもない。
春の狩猟会を終えたばかりの夜会では、参加した男性たちが己の猟果を競うように語り合っていた。
「私は鹿を二頭だ」
「こちらは猪を仕留めましてな」
あちこちでそんな声が飛び交う中、貴婦人たちは苦笑しながらグラスを傾けていた。
――もっとも、ヴァルモン侯爵家を知る女性たちだけは、その会話を別の意味で聞いていた。
一族を束ねるグローリアは、本日も一分の隙もない装いだった。上質な絹と繊細なレースをあしらったドレスに、優雅な羽扇。その扇が静かに揺れるたび、ほのかなスズランの香りが漂い、彼女の存在を誰よりも雄弁に物語っていた。
「グローリア様、言わせておいてよろしいのですか?」
「アルフォンス様はあの場にはいらっしゃらないようですが……」
「でしょうね。旦那様は狩猟の話よりも農地の話のほうがお好きですもの」
そう言ってグローリアは扇を口元へ寄せ、会場の一角へ視線を向けた。
そこでは、ヴァルモン侯爵アルフォンスが学者風の男性と熱心に農地について語り合っている。
その様子に婦人たちは苦笑しながら頷いた。誰も異論はない。あの侯爵家で狩猟の話を始めれば、話が妙な方向へ転がることを皆よく知っているからである。
そんな時だった。
一人の若い令息がグラスを片手に婦人たちの輪へ近づいてくる。頬はわずかに赤く、少々酒が回っているようだった。
「ヴァルモン侯爵夫人、本日も麗しくてなによりでございます」
「ありがとう。少し、お酒を召しすぎたのでは?」
「これくらい問題ありません。それはそうと、ヴァルモン家は本日の猟果はいかがでしたか?」
その言葉に、婦人たちの扇が一斉に止まる。
音楽だけが、何事もなかったかのように流れ続ける中、聞こえよがしな囁きがあちこちで交わされた。
「まぁ、何をおっしゃっておられるのかしら」
「あの方、どちらの田舎貴族?」
「見たことがありませんわね。つまり、そういうことですのよ」
婦人たちはちらりと令息へ視線を向けると、扇の陰で囁きを交わした。
一方、グローリアは穏やかに微笑み、閉じた扇を指先で軽く叩いてから静かに答える。
「本日はウサギとカモを二羽ほどでしたわ」
「……は?」
令息が目を丸くした、その時だった。
「グローリア夫人。本日もお見事でしたな」
恰幅のいい壮年の男性が笑顔で声を掛けてきた。
「ありがとうございます」
「夫人くらいですよ。華やかなドレスを纏ったまま狩場へ来られるなど」
「まぁ、貴婦人として当然の身だしなみですわ」
ころころと鈴の鳴るように笑うグローリア。
その言葉を聞いた令息は、「ド、ドレスで……?」と、遠い目になる。
しかし、その追撃はまだ終わらなかった。
「でも、わたくしなどまだまだですわ」
「さようですか?」
「ええ。母は鹿でしたし、祖母は熊でしたもの」
その言葉に壮年の男性は「ああ」と思い出したように手を打つ。
「そうでしたな。ヴァルモン家の祖母君の逸話は、今でも狩場では語り継がれております」
「お見苦しいところをお見せいたしましたわ」
「いやいや。領主たるもの、それくらいの気概が必要ですとも」
「ありがとうございます」
和やかに笑い合う二人。
一方、そのやり取りを聞いていた令息は完全に思考が止まっていた。
(ドレスで狩りをして……熊?)
自分が知っている狩猟会と、今目の前で語られている狩猟会は、本当に同じものなのだろうか。
そんな彼の肩を、先ほどの壮年の男性がぽんと叩く。
「若いの」
「は、はい!」
「ヴァルモン家に狩りの話を振る時はな」
一拍置いて、にやりと笑う。
「鹿までにしておけ」
その瞬間、周囲の婦人たちは一斉に吹き出し、グローリアも羽扇で口元を隠しながら上品に笑うのだった。

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